人は、自らの琴線に触れるものしか吸収しない
例えば本を読むとき。
「あ、この文章いいな。」
「この考え方いいな。」
折り目をつけたり線を引いたりする。
それらの「自分の目に止まったもの」たちは、ほとんどが、自分の中にすでに在るものと同じ、もしくは似ているものたち、である。
実際に自分が本を読んでメモしている箇所も、よくよく見返してみると、自分に似ている。「自分もこうなりたい」「自分の中に取り入れたい」そう感じる言葉や文章は、実は自分の近くにあるものばかり。
つまり人は、本を読んだり、人の話を見たり、絵を見たり、映画を観たりなどの、「アート」に触れる際には、自分の琴線に触れるものしか吸収しないのだ。
今の自分に全くない考え方を、人はすぐに吸収することができない。
今の自分からはとても遠いところにあるから。
自分を徐々に拡張させて、そこにたどり着く。
成長は、拡張によってのみ成される。
ってな感じのことを「世界遺産と雑学の旅」っていうpodcast番組で言ってて、なるほど。と感じた。
本を読んでも、合わないものは合わない。自分の中にそれがないから。
そんなときは、それを受け入れる。今の自分が読むべきものではないから。
本に限らず、何かに触れたとき、誰かに会ったとき、全然しっくりこないことがある。
それでOK。
今はそのときじゃない。今後自分が広がって、を理解することができる日が来るまで放置。一生理解できないかもしれないけれど、それでOK。自分とは違うということ。