「自分は大きな循環の中の一部」この認識。

適当に書く。

動画にすると、解釈が一つになってしまう。解釈の幅が狭くなる。解釈の押し付けになる。視覚情報は印象が強すぎるが故。例えば顔面を1分撮り続けるくらいの作品が好き。

アートをやる人の気持ちが何となく分かってきたかも。
言葉にすると、解釈の幅が狭くなりすぎてダルい。言葉以外であれば、そこをクリアできる。

動画や音声によるアウトプットよりも、やはり書くアウトプットの方が良い。自分のペースで、自分の時間で、止まったり戻ったりできる。動画や音声は止まれない。戻れない。連続する。だからこそ、テキストでアウトプットした方が、自分なりに整理しやすい。

最近は音声でアウトプットしていたが、テキストでのアウトプットをメインにしていこうか。

タイのチェンマイに行くのが楽しみ。
自由な空気感、気候が最高。
日本は規則やルールや人の目、常識みたいなのがダルい。タイと比べると。

自然の中で生きることで、自分は大きな循環の中の一つの個体にすぎないことを感じる。都会の人工物の中で生きると、自我に自分に固執して近視眼的になる。世界を正しく認識することができなくなる。それにより、肉体的に健全ではない状況になる。

「自分は大きな循環の中の一部」この認識はかなり重要。これがあると正しく生きることができる。人に優しくなる。人以外にも優しくなる。イケてる生き方ができる。

とはいえ一個体として自分主眼の認識もある。ここがあるからこそ人生が面白い。ドーパミンが出る。しかしこれだけだとミスった感じになる。

「自分は大きな循環の中の一部」この認識のもと、この枠を捉えた上で、自分が遊ぶ。

やはり身体は自然の中に置き、自然の中で生きるのが最も健やかであり、ハッピーに生きることができる。自然の中に身を置くことでイケてる生き方ができる。これはかなり確信している。

飯に本格的にこだわっていこうかと思う。食べているもので身体も思考も自分の全てがつくられているので。「朝と昼は血糖値を上昇させない」これやろう。朝と昼に米を食うなら玄米で。トレーニング後と就寝前は血糖値を上げるべく白米。

アーティストとかは、もはや売れる売れないとかいう次元ではない。その次元に達していない人の要求はどうでも良い。自分が好きなことをやるのがイケてる。