【No,143】動画2.0

「動画2.0」を読む目的

動画が盛り上がっている感は感覚では分かっていたけれど、その原理を知りたかった。

そして、今後動画産業がどうなっていくのかを知り、その波に乗りたい。

動画2.0を読んで良かったこと、感じたこと

大学生の頃動画に対してはこう思っていた。

「綺麗な動画って誰でも撮れちゃう時代になるから、ただ綺麗な動画には全然価値が無くて、その人のストーリーとかが反映されて初めて価値のある動画になる気がする。」

この「ストーリー」こそが明石氏の言う「思想や世界観」なのだと分かった。

読者の方のコメントなどのフィードバックから、
ブログでは思想や世界観を少しづつ伝えることができいる感がある。

ブログでももっと、思想や世界観をテキストに反映させていきたい。
そして、動画ではもっと分かりやすく思想や世界観を伝えることができるはず。

自分は今から何をするか

  1. 週1本ペースでYouTubeにおいて動画を配信する。
  2. 「思想や世界観を、演出によりビジュアライズする」
    どうやって?
    どうやって思想や世界観を演出によりビジュアライズするのか。
    これは試行錯誤しながら上手くやっていきたい。
    まず、やること。行動すること。そこから始まる。

3ヶ月後にはどうなっていたいか。

YouTubeチャンネル登録者数1000人。

www.youtube.com

 動画2.0 メモ

Facebookのアルゴリズム変更が発表される際、ザッカーバーグが書いていたことがある。

それは「会話を生むこと」が最も重要だということ。
人と人とのコミュニケーションの間で、そのコンテンツが有益なものになっているかどうか、だ。

それを実現できるようなコンテンツが、サードウェーブの時代には求められているのではないかと思う。

ここに時間軸に対する圧倒的な「情報の凝縮」がある。
この情報の凝縮こそが、動画を動画たらしめるポイントだ。

Information Per Time この「情報の凝縮」を真っ先に体現したクリエイターたちがいる。
それがYouTuberだ。

YouTuberのファン、特に小さい頃から夢中になっている小学生や中学生は、テレビ番組を観ていると「かったるい」「CMまたぎで同じこと繰り返すのがいやだ」「何で最初から再生されないの?」というようなことを言うそうだ。

これは時間に対する情報量が濃いものを若年層が求めているということを示唆している。

動画=情報の凝縮がある映像コンテンツ その映像が動画であるかどうかは Information Per Time = IPT によって測られる。

なぜ、IPTが高いものがスマートフォンやデジタルサイネージで好まれるか? それは時間の価値で捉えていくとわかりやすい。 映画やテレビ番組を楽しむ時は、あらかじめ時間をそのコンテンツに使おう、と思っている。 映画なら2時間、テレビ番組なら30分以上、そういう心構えをして観ているものだ。一方、動画はあらゆるスキマ時間に偶然出会うものだ。30分の中の1分ではない。1分半の中の1分だ。

映像を観る1分と、動画を観る1分の価値は等価ではない。 おそろしく貴重な1分なのだ。 その1分を奪い合うライバルも強力だ。 彼氏からのLINE。気になるあの子のInstagram。買えなかったスニーカーをメルカリで探す時間も必要だ。 プロや素人が入り乱れてものすごい量のコンテンツを作る時代。 そんなコンテンツの洪水を見逃さないために、誰もがスマートフォンの小さい画面にかじりついている。

今から数年後、具体的には5Gと8Kが普及するタイミングで、映像と動画のバランスが逆転する。 僕はそれを動画産業革命と呼んでいる。なんだかワクワクしてこないかい?

2020年、東京オリンピックの年に向けてとんでもない環境変化が進行している。 まずは5Gという次世代高速回線。フルハイビジョンの映画をおよそ1.5秒でダウンロードできるという。半端ないスピードだ。でも5Gの本質的なすごさは落合陽一に「人間の出入力感覚では、遅れを体感しないレベル」と言わしめる低遅延化にある。そんな通信環境がメディアやコンテンツとつながった時、どんな化学反応が起きるのか? 一つ明確に言えるのは、現在、写真やイラストなどの静止画が入っているところは「動かないと物足りなくなる」ということだろう。

街中のポスターが貼られていた場所はこれから、どんどんデジタルサイネージに入れ替わっていく。ONE MEDIAでは山手線新型車両に限定して動画コンテンツを配信している。新型車両にはリッチなデジタルサイネージがたくさん配置されているからだ。東京オリンピックまでに山手線の全てが新型車両に入れ替わる予定だと聞いている。車両以外にも駅の柱など、かつてポスターが貼ってあった場所は、どんどんデジタルサイネージ化していく。

YouTubeやNetflixがPCを中心に成長してきたのは、映像ファイルという大きなデータを扱うのにモバイル通信環境では不十分だったからだ。 つまり、極端な言い方をすると映像や動画を扱うリッチなインターネットメディアは、まだ全然本気を出せていない。 今やPCよりもモバイルのスクリーンが多い世の中なのに、その潜在能力を通信環境というボトルネックで生かしきれていないのが実状なんだ。

繰り返しになるが、クリエイターの思想や描きたい世界観が、演出によってヴィジュアライズされていることが重要だ。

君の映像に思想はあるか?

誰の心にも刺さらないマスターベーションになっていない

例えば今、TikTokが猛烈に流行っている。2012年から中学で必修化されたダンスの授業がもしなかったとしたら、TikTokはここまで流行していなかったんじゃないかな? 「みんな一緒に授業で踊ってたから別に恥ずかしくない」 「ダンスやったからこそ、あの動きがイケてるのがわかる」 とんでもない流行や、大きな産業を支えるのは、一流かどうかを判断できる一般プレイヤーの数なのだ。 映像の時代は、みんながコンテンツを受け身でしか判断できない時代だった。だから映像は、一部の人たちだけで作って一部の人たちが評価する、とても小さい世界だった。

YouTuberが人気な理由は、毎日動画をUPして視聴者とコミュニケーションし続けているから。 Instagramであれば、その粒度はさらに細かくなる。視聴者がコンテンツに触れる時間の粒度は細かくなる一方、求められるコミュニケーションの期間は長くなっていく。 そんな時代に一番重要なのは「コンテンツを作り続け、届け続けること」だ。作ることでも、届けることでもない。続けること。 みうらじゅんの言うようにKeep on rock’n rollが一番難しい。 だから君は「続ける」クリエイターにならなくちゃいけないんだ。 数十年に一度のメディアの変革期が今来ている。

 だがしかし、最も重要なことは君自身が本気でそれを伝えたいと思っているかということだ。 噓偽りのない心からの叫びをヴィジュアルストーリーテリングに落とし込むことで、君にしかできない動画が誕生する。 その動画が視聴者と強く結びついた時に、誰かの世界観が変わるんだ。 これがエンゲージメントだ。

何かのプラットフォーム上で手応えを感じ出したら、次の段階に進もう。スタイル作りだ。 雑誌やテレビの時代は、そのコンテンツがどこのものなのかということがはっきりしていた。 でもスマートフォンのニュースリーダー、SNSを通して見る時、君はそれがどこのコンテンツなのかってことにちゃんと気づけているかい? ロゴを隠したら、どこのコンテンツかわからないような動画を作ってはいけない。それじゃ君のブランドが定着しないからだ。ブランドが浸透しなければ、仕事はいつまでも来ないぜ。 プラットフォームを通して動画を届ける場合、誰が見ても君のコンテンツだとわかるような特徴が必要になる。僕はそれをスタイルと呼んでいる。 スタイルは、君が伝えたいことをヴィジュアルで表していくことで完成する。色、フォント、フィルター、モーション、視覚を構成する要素を丁寧に組み合わせて君だけのスタイルを作ろう。 そうやって、丹誠込めて作ったスタイルが良いものであればあるほど、すぐにパクられるけどね。 しかし、そこで落胆したり、怒ったりして止まっている暇はない。大丈夫、君がスタイルのオリジネイターなら、誰もが君の方を本物だと思うくらい、作って届けていけばいい。 君のブランドと君のスタイルが強く結びつくまで、諦めずそれを続けるんだ。いつしか君のスタイルがジャンルへと進化するはずだ。その時君のブランドは完成する。ブランドとは意味だ。そしてブランドは君のものではない。君のクリエイティブを見た人の心の中に宿るものなのだ。

僕たちはクリエイター、誰かの世界を変えるきっかけを生み出すヤバイ奴らだって。

君たちの人生という一度きりのドラマを悔いなきものにするために、自分自身で毎日をディレクションする喜びを知ってほしい