人間の労働をAIが代替する。
すると、人間が長時間働く必要がなくなり、生活コストが下がり、自由な時間が増える。
個人の力が強くなり、
その人の”好き”を突き詰めたそれが仕事になる時代が来る。
でも、よく考えてみてほしい。
1度きりの人生に、不安を持ち込むことに何の意味があるのだろうか。
今この一瞬に全力で向き合い、心の底から楽しむことが、命を与えられた私たちの使命ではないのだろうか。僕には、未来を悲観して足をすくめている時間など、1秒たりともない。
人間の労働が機械によって代替される事例が増えるにつれ、「AIに仕事が奪われる」といった悲観論を最近よく聞くようになった。
仕事がなくなる、お金を稼げなくなると、生活に不安を感じている人もいるだろう。
ただ、もしそうなっても、なんら問題はない。
人間がやらなければならなかった仕事の時間が減り、自由な時間が増えるだけの話だ。さらに、生活コストはどんどん下がっていくので、何も無理に働いてお金を得る必要もなくなっていく。
こうした「AIが職を奪う」という事実に対し、否定的な反応を示すか肯定的な反応を示すか。
しかし、はっきりいうが、「AIによる職の代替=不幸」のロジックを持つ人間は、自分の価値をAIと同じレベルに下落させてしまっている点で、ダサい。
仕事を奪われ「価値を失うこと」を恐れる前に、なぜAIを使いこなし「価値を生み出す」視座を持てないのだろうか。
「価値を失う」ことに目がいくタイプの人間は、常に「使われる側」として搾取される状態にいることに気づかなければならない。AIが古い社会システムを刷新していけば、今、世の中の人が思っているような〝会社〟のありようは失われていく。
時代に合わせ、常に変化し続けられることが、これからの時代を生き抜く必須条件になる。
自分も常日頃から思っていた。
「AIに仕事を奪われる」のではなく「AIが仕事をやってくれる」のだ。
単純作業を行う必要がなくなり、
その代わりに他の分野が発展するはずだ。
たとえば、農業は人の手間を減らしながらも収穫量が増えている。
今後は、さらに手がかからなくなるのだから、食費は今以上に安くなる。
お金がなくても十分に食べていけるようになる世界は、そう遠くない。ロボットが社会全体の富を自動的に作り出し、個人に利益をもたらしてくれるのだ。
これからは「他人と違うことをやっていくことを基本にする」 ブルー・オーシャン的な思考と戦略を持って、画一化されていない個人の訴求力と相互的なフォロー・フォロワーシップによる共依存関係を持つべきだ。
自分しかそれをやっていないけれど、それが正しいと信じ、競争することをやめる。
もし、誰かが自分と同じようなことをしていたって、気にする必要はない。
「先を越されたから」とか、「先を越されそうだ」ということを考えるクセは、根本からなくしたほうがいい。ただ愚直に、そこから先に自分がどういう価値を足せるのかを考えるマインドセットでいけばいいだけだ。
カーシェアリングサービス「Uber」が日本に導入されたが、すべてのタクシーがUberに置き換われば、間違いなくドライバーの収入は上がるだろう。
中間搾取をする人間がいなくなるのだから、当然だ。こうしたCtoCサービスは、既存のビジネスモデルを大きく変える可能性を秘めている。
ミスマッチがなくなり、需要と供給が最適化されていく。
今後、こうした事例はますます増えていくだろう。
彼らのような「新しい仕事」で成功している人たちには、共通点がある。
1つ目は、まず「作業にハマっていること」 だ。ここでいう「ハマる」とは何か。「ハマる」とは、何かに「没頭」するということだ。
ここに、好きではないものを歯を食いしばって「頑張る」という意味はない。「努力しよう。頑張ろう」と思って歯を食いしばってやったところで、平凡な結果しか得られない。
そのために必要なのは、自分の感覚を信じて、自分で方法を考えることである。自分で作ったルール、自分で立てたプランだったら、納得感を持って取り組むことができるし、やらざるをえない。
つまり、自分でルールを作ることで、ものごとに没頭でき、好きになることができる。
「新しい仕事」で成功する人たちの共通点の2つ目は、「思いを持って毎日発信すること」 だ。
やりたいことや、ハマれるものが見つかったら、毎日自発的に思いを発信し続けることが大切だ。
それも「言われたからやる」「ノルマだからしぶしぶこなす」という姿勢で取り組んでいてはダメだ。
稚拙でもいいから、読み手に「熱さ」が伝わるものでなければならない。ツイッターやインスタグラム、フェイスブック。動画ではユーチューブ、SHOWROOMや 17 Liveなど、今の世の中、ツールなんて山ほどある。
「新しい仕事」で成功する人の最後の共通点は「油断しないこと」だ。
自分がハマれる好きなことが見つかり、情報のインプットとアウトプットも積極的にできている。そんなときに大切になってくるのは、「自分自身に油断しない」 ことだ。
イチロー選手の活躍や言動を例に見ていると、「油断」という言葉とは無縁だ。
2016年8月、ついにメジャー通算3000本安打の金字塔を打ち立てたが、とあるインタビューでこんなことを言っている。
「僕は天才ではありません。なぜかというと自分が、どうしてヒットを打てるかを説明できるからです。」
この手の話をすると、食い扶持をつくろうと「副業」をはじめようとする人たちがいるが、僕から言わせてもらえば「副業はダサい」。
この一言に尽きる。誤解がないよう、その理由をロジカルに説明させてもらおう。そもそも「副業」と言うからには、その対立概念に「本業」というものが存在する。
僕はこの「本業」と「副業」の構図に、強烈な「リスクヘッジ」の匂いを感じざるをえない。おそらく、「二足のわらじ」を目指すほとんどの人は、「本業」を食いっぱぐれのない「ライスワーク」として位置づけ、「副業」を本当にやりたい「ライフワーク」ととらえているのだろう。
ただ、僕からすれば、 なぜ本当にやりたい仕事で人生を満たそうとしないのか、理解ができない。
全くその通りで、
「自分の本当にやりたいこと」を仕事にして人生を生きるべきだ。
人生は一回しかない。
きっと彼らの言い訳はこうだ。
「家族を養わなきゃいけない」
「やりたいことも大事だが、世間体も大事」
「一歩踏み出すのが怖い」。悪いが、僕にはそんな中途半端な思いで打ち込む「副業」とやらのクオリティなんて、まったく信用できない。
「そこには、ピュアな情熱や社会的な使命感なんて存在しないだろう」と思えてならない。
そんな事業を誰が応援するだろうか。
未来が不安な若者には、「仕事になる趣味を3つ持て」と伝えたい。
堀江さんは「遊びのプロになれ」と言っていたが、「遊び」は簡単に聞こえるが、実は難しい。
「趣味を仕事でやれ」と言われると、少し難しく聞こえてしまうかもしれない。
アートによる複雑性* 10 と僕はよく言うが、伝わりにくい。それなら、考え方を少しシフトして、「仕事になる趣味」を探してみたらどうだろうか?
堀江さんが繰り返し言っているように、好きなことに没頭すれば仕事になる。
しかも仕事になっている頃には、その界隈で君の名も知れ渡っていることだろう。もしそんな趣味が3つもあれば、すでに君は代替不可能な存在になっているといえるのではないか?
おそらく世間が君を放っておかないだろう。
必ず君に憧れるフォロワーがつき、他の誰かには替えられない差別化された人材になっているはずだ。