どう生きるかつらかったときの話をしよう

地球と人間は一対一の存在であり、地球は一人ひとりの人間の命の集合体であること。

宇宙空間には、重力も音も命の気配もなく、その中で地球だけが命を感じさせる存在であり、まぶしく輝いていること。

僕たちが普段、「当たり前」「絶対」だと思っていることは、宇宙では決して当たり前でも絶対でもないこと。

 

人にはいつか必ず死が訪れるし、自分の死をコントロールすることはできない。

でも、天寿を全うするまで、自分の命、自分の人生を主体的に動かすことはできる。

朝、起きたときに命があれば、その日一日の命、その日一日どう生きるかを自ら考え、実行することはできる。

 

「地球は一つしかない。」

 

初めて宇宙空間に出て驚いたのは、音がないことです。音は空気の振動によって伝わります。
空気のない宇宙空間に音がないことは知っていましたが、実際に体験する宇宙の無音は想像以上でした。

また、生き物の気配もまったくなく、「ここは命が存在しない場所だ」「生き物 が生きていけない世界だ」と、体が本能的に感じました。

命の存在がまったく感じられない宇宙空間の漆黒の闇の中、地球だけが圧倒的な存在感を放ち、「ここに命がある」「生きている」と訴えているようでした。

地球の表面には白い雲が動き、青い海は太陽の光を受け、輝いており、見ている間にも、地球はゆっくりと回転し、刻々とその表情を変えていきます。 そして、日本やアメリカなど自分にとって身近な国々だけでなく、一生行くことがないかもしれないアフリカやアマゾン、シベリアなどの森林で暮らす人々や、太平洋の小さな島々に暮らす人々に至るまで、地球に暮らす約10億の人たちの生活が リアルに感じられ、地球が「命に満ちた天体である」という強い確信を抱きました。 宇宙空間には、ほかにもたくさんの星がありましたが、命があると実感した星は地球だけだったのです。

 

地球と、普段地球によって生かされている僕は、互いに一つずつ命を持っていることに変わりなく、広大な宇宙から見ると、そこに優劣はないということ。

その場合は目を閉じて、音のない真っ暗な宇宙空間と、宇宙服を着て浮かぶ自分自身と、美しく輝きながら動いている地球を思い浮かべてみてください。 そして、ぜひ地球と、一対一の命を持つ者同士として向き合ってみてください。

自分の存在、自分の命には無条件に価値がある。
そう実感することは、他者の評価、相対評価に頼らず、自分自身で、絶対評価に基づいてアイデンティティや価値を決めるための第一歩だと僕は思います。

 

サバイバル体験に関しては、僕がよくお世話になっている岡田武史さん(元サッカー日本代表監督、FC今治)からうかがった話が忘れられません。 ご自身がボーイスカウト経験者である岡田さんは、教育事業として無人島での子どもサバイバルキャンプを主宰していますが、生死の境を体感すると、子どもたちが見違えるように成長して主体的に動くようになるそうです。 岡田さんの言葉を借りると、「DNAに喝が入る」ということで、生死の境というか、自分の限界を見ることは大事だと、その話を聞いてあらためて思いました。