お笑い芸人「ピース」の又吉直樹による作品。
ミャンマーのエーヤワディー川を進む船の上で読んだ。
物語の主人公は、スパークスというコンビ名で活動する「徳永」。
徳永は、ある日の花火大会の夜、天才的なお笑いセンスを持つ「神谷」と出会う。
神谷は「おっさんがFカップだったら面白い」という思いつきで、おっさんながらFカップの豊胸手術を行ってしまうほどの破天荒さを持つ。笑
そんな二人を中心に物語が展開されてゆく。。
「文学」というものはよく分からないが、面白かった。
伝わってきたし、理解することができた。
そんな感覚。
KInleだと500円で読めるのでオススメ。
小説だが、90分程度で読むことができた。
2017年11月に映画が公開されるので、是非観たい。
そんな作品。
「なあ、さっきから俺が珈琲カップを皿に置く時、一切音が出えへんようにしてたん気づいてた?」
と神谷さんが言った。「気づいてましたよ」
「ほな、言うて。やり始めたものの、お前が何も言わへんから、やめるタイミングなかったわ」
と神谷さんは掠れた声を出した。
これめっちゃ分かる。
「笑われたらあかん、笑わさなあかん。
神谷さんに、そんな制限はない。
周囲を憚らずに下ネタを言ってやったというアウトローとしての行為を面白いと思っているのではない。
あくまでも、面白いことを選択する途中に猥褻な現象があっただけなのだから、それを排除する必要を微塵も感じていないのだ。
こういう時に僕は打ちのめされた。
発想の善し悪しが、日常から遠くへ飛ばした飛距離でもなく、受け手側が理解出来る場所に落とす技術でもなく、理屈抜きで純粋に面白い方を択べとする感覚的なものによるならば、僕は神谷さんに、永遠に追いつけない。
自分が考えたことで誰も笑わない恐怖を、自分で考えたことで誰かが笑う喜びを経験してほしいのだ。
必要がないことを長い時間をかけてやり続けることは怖いだろう?
一度しかない人生において、結果が全く出ないかもしれないことに挑戦するのは怖いだろう。無駄なことを排除するということは、危険を回避するということだ。
臆病でも、勘違いでも、救いようのない馬鹿でもいい、リスクだらけの舞台に立ち、常識を覆すことに全力で挑める者だけが漫才師になれるのだ。
それがわかっただけでもよかった。この長い月日をかけた無謀な挑戦によって、僕は自分の人生を得たのだと思う。
神谷さんから僕が学んだことは、「自分らしく生きる」という、居酒屋の便所に貼ってあるような単純な言葉の、血の通った激情の実践編だった。
生きている限り、バッドエンドはない。僕達はまだ途中だ。これから続きをやるのだ。