質問
容量が良くてあまり勉強しなくても、
テストでいい点が取れる人もいれば、
真面目に勉強しているように見えて、
テストの成績が芳しくない人もいます。
これはどうしてですか?センスですか?
回答
- 先天的な「センス」
- 本質を捉える意識
- 基準の高さ
の2つによって、両者の差が生まれます。
解説
これは昔からみんな疑問に思ってきたことなのではないでしょうか?
いますよね、「お前あんまり勉強してないのに、なんでテストの点いいん!?」って人。
「お前、不真面目なようで、しっかり理解しとるなぁ。」
僕の親友のまつだが、まさにこれですね。
センスがある。
勉強もスポーツでも、なんでも要領よくこなす。
彼らはなぜ、コツコツ真面目にやっているように見える人たちよりも結果を出し、要領よくなんでもこなしてしまうのでしょうか?
1つは、「流動性知能」の差です。
人間の知能には「結晶性知能」と「流動性知能」の2つの知能があります。
「結晶性知能」とは、知識の多さを表すもの。
後天的なもので、努力次第でどうにでもできます。結晶性知能は向上します。
「流動性知能」とは、新しい仕事、場面、状況に対応する能力です。
これは先天的なもの。努力で向上させることはできません。
あまり勉強をしている風には見えないけれど、なぜかテストの点数がいい人。
「あ、こいつセンスあるな。」と人に思わせるような人は、流動性知能が高いのです。
「先天的なセンスが備わっている」のです。
もう1つ、差を作り出すのが、”意識の差”。”本質を掴む意識の差“。
真面目に勉強しているようでテストの成績が良くない人は、勉強している風に見えるだけ。本質を捉えることができていないことが多い。
本質を、要点を捉えるように意識して、きちんと物事を理解するよう意識している人は、短時間で要領よく勉強の成績が上がります。
最後にもう1つ。
それが「基準の高さ」。
「プライドの高さ」とも言えるかもしれません。
彼らは、基準が高い。
なんでも、「できて当たり前」だと思っています。
自分は他の人より秀でているということを自分で自覚しているので、自分が人よりも劣るということが許せない。
だから、実は勉強していなさそうに見えても、実はこっそり練習したり、上手くこなすための工夫を行ったりしていることもあるでしょう。
最後に。
「自分は容量が悪い」と思っている人は、「どうせ自分にはできない」という”あきらめ“の気持ちを持ってしまう人がいます。
あきらめた結果、「努力をしない」という選択をしてしまう。
それでは当然できません。
まずは、「自分はできる」ということを知る。
本質を掴み、要点を捉え、然るべき努力を積めば、誰だって何でも”ある程度は”上手くこなすことができます。
当たり前基準を高く持つ。
この意識を持つことができれば、結果が変わります。
まつだの回答
いやー、まつだ文章書くの上手いな。
さすが、WEBサイト作成のコンサルしてるだけある。
俺も負けないように上手く書こう。
もっと読みやすい文章を書くことができるよう、精進します!