同年代でインドで事業を立ち上げている人がいる。
「じゅんのすけ インドで農業」
スゲーなと思いながらTwitterでいつも拝見していた彼が、「俺のバイブル」と紹介していたのが、この本「歩き続ければ、大丈夫。」
アフリカに渡り数々の事業を立ち上げ、
そのうちの1つであるケニア・ナッツ・カンパニーを、世界五大マカダミアナッツカンパニーに成長させた「佐藤芳之」さんの本。
「合言葉はフット・ファースト」
アフリカで会社を立ち上げたのも、
「行動力」なんていう力ではなく「やるか、やらないか」の話に過ぎないのだと言う。
自分が心からやりたいと思うことを、夢中でやればいい。
そんなメッセージをこの本から受け取った。
英語に「Be somebody, not nobody.」という表現があります。
みなさんはそれぞれに「サンバディになるんだ」と努力しているでしょう。
きっと、生まれてきた以上、「ノーバディでいいんだ」という人はいないと思います。堂々と口にするのは恥ずかしくても、心のどこかで
「いつかサンバディになりたい」
「今はまだまだなりたい自分じゃない」
と感じている人がほとんどでしょう。自分のなかにそういう感情があれば、目をそらしたりせずに、大切にしてください。
それが今後、あなたにとって一番のエネルギー源、大きな原動力になるからです。私も二〇代から三〇代にかけては、何かになりたくてうずうずしていました。
どういう形で「サンバディ」になるか。
何に情熱を傾けて生きるか。
これはそう簡単に見つかるものではありません。運もある。ただ、情熱を傾けられないこと、どうしても好きになれないことを、ムリに理由をつけて続けるのはよくありません。
成長しませんし、自分をダメにしてしまいます。私自身、最終的に追いかけるものは、自分のアンテナが反応するまま、とても散漫に物事に取り組んでいくなかで見えてきました。
今は、「サンバディになりたい」という漠然とした欲求でいい。
自分のアンテナに反応して、キラキラした破片を拾い集めていけばいい。
そうすれば、やがて「追いかけたいもの」が見えてくる。
よく「やらずに後悔するより、やって後悔したほうがいい」なんていいますが、やって後悔することなど、まずないのです。
みなさんもそうではありませんか。
親や友達の反対を押しきってやってみたことがあれば、思い出してみてください。
うまくいく可能性は五分五分といわれていたけれど、どうしてもやらずにはいられなかったこととか。おそらく、うまくいかなかったと思いますが、その時、本当に後悔しましたか。
何が人を本気にさせるのだと思いますか。
それは、「オーナーシップ」です。
英語の「ownership」を日本語にすれば、「自分事」となるでしょうか。今、自分がやっていることを「他人事」だと感じていると、人は本気になりません。
仕事であれば、どうすればサボれるか、どうすれば会社の備品やおカネを盗めるかということしか考えなくなります。
当然、必要なスキルも身につかない自分の意識のなかに「オーナーシップ」のないまま仕事をしている限り、どんなに苦労しても、努力しても、何も蓄積されていかないのです。
もし、みなさんのなかに「まだ本気を出していないかもしれない」と感じている人がいたら、仕事中どんな顔をしているか、勇気を出して鏡で見てみましょう。
「顔」は、人の「本気度」を測るとてもわかりやすい基準なのです。
「本気である」とは「楽しい」ことなのですから。
山中で車のラジエーターが故障してにっちもさっちもいかなくなっても、夜中、蚊が顔のまわりをぶんぶん飛んでいても、何をしていても楽しくて楽しくて。
トラブルに直面しても、わくわくしながら乗り越えてしまう。
「夢中」には、そういう明るさがあります。一方、「必死」は暗い。
「必死」には「死」という字が含まれています。
肉体的にも、精神的にも、まさに「死」に至るまでがんばっちゃう。
それが必死にやるということ。
目を血走らせ歯を食いしばって「必死にやる」姿には、どこか悲壮感が漂います。
本人もつらいかもしれないけれど、まわりで見ているほうもつらい。みなさんもそうではありませんか。
必死でやっている時よりも、夢中でやっている時のほうが、大きなことをやりとげられた経験はありませんか。楽しくて続けていたら、いつのまにか軽くひょいとできていたなんてことはありませんか。
努力とは本来、楽しくやるものです。
そして、楽しい努力をした時、人はぐんぐん伸びていきます。みなさんも、どうせやるなら、ぜひそういうふうにがんばってみてください。きっと、自分でも驚くほどたくさんのことをやりとげられるはずです。
ところで、人は何のために仕事をしているのだと思いますか。
食べるため、生活のため、子供のため、家族のため。
きっと、それもあるでしょう。それら全部をひっくるめて、人はよりよい人間になりたいと思うから一生懸命に仕事をするのではないでしょうか。
たくさん稼いでよりよい生活をして、旅行をしたり勉強をしたりいろいろな経験をしようとするのは、「今より立派な自分」になるためでしょう。
子供にいい教育を受けさせて、家族においしいものを食べさせるのは、「よりよい親」になるためでしょう。
結局は、どれも「よりよい自分になるため」であるはずです。
誰にでも、仕事がつらくて「もう、会社を辞めてしまいたい」と思うことがあると思います。
そういう時に、先輩や親から「石の上にも三年というから、我慢してみたら」といわれたことはありませんか。
でも、「石の上にも三年」は実は嘘なのです。
もし、今いる場所が「正しい場所」でなければ、三年いようが、一〇年いようが同じこと。逆にいえば、三ヵ月で辞めてもまったく問題ありません。
努力で何でもできたら世話はありません。毎日が楽しくて、自分が成長していると日々実感できる場所で努力してこそ、人は伸びるのです。
人間、新しいことを始めるよりも、今やっていることを続けるほうが楽なのです。
そのせいで「時」を逃してしまう人がたくさんいます。でも、「そろそろ終わりだな」と感じたら、ぜひ躊躇しないで次の一歩を踏み出してほしいのです。
実は、私がケニア・ナッツを離れることにしたのには、もう一つ理由がありました。
それは、「自分を使いきっていない」「このまま終わったら、自分がかわいそうじゃないか」という感覚があったから。
幸い、肉体的にも精神的にも健康そのもので、次の仕事を始められる状況にありました。
「Give me another chance.」 自分自身にもう一度チャンスをあげよう。
「試練」という言葉が、一番しっくりくるかもしれません。
せっかく夢のアフリカまで来たのに、これくらいのことで死んでたまるかという思いがあったのでしょう。試練を越えていくのはつらくありません。
自分が前に進むためにやっていることがつらいはずがないのです。本当にやりたいと思えば、いくら大変なことがあっても人はやり抜きます。
「大変」「つらい」と感じるのは、本当にやりたいことをやっていないからではないでしょうか。
アフリカと日本、どちらが楽ということはありません。
私からすれば、東京で働くほうが数倍しんどいように思えます。
毎朝、あの満員電車に乗って会社に行くなんて、とてもできそうにありません。
アフリカで働くほうが、東京で働くよりよっぽどマシともいえる。やりたくないことをやっている時の「苦労」は、どこにいても誰にとってもしんどいものです。
逆に、やりたいことをやっている時にぶちあたる「試練」は、つらくない。
楽しくてたまらない場合さえある。「苦労」と「試練」は似て非なるもの。
せっかくの人生、向き合うなら「苦労」よりも「試練」でしょう。「大変、大変」と口にしながら歯を食いしばるのではなく、母のように背筋をスーッと伸ばして歌をうたいながら乗り越えていける、そういう「試練」がいいのです。
ミニマムに「足るを知る」ことを身につけたのだと思います。
見た目ははではでしくなくても、自分のやりたいことを思い切りやれる。
それが本当の意味での「リッチ」だと思うのです。
立派な見た目を保つために、やりたいこともやれないなんて、生きかたとしてあまりにもったいないでしょう。
人の価値とは、自分が口にした言葉で、自分の行動を縛ることができるかどうかです。
言葉は風ですから、口にしたままでは消えてしまいます。
これを目に見える物、手で触れられる物に変えられるか。
そこが人としての高潔さ、誠実さだと思うのです。