大量の建築物がもう既に余っているのにも関わらず、方法論を変えずに建築をやめない建築界。 法律に縛られてしまい、人間が生きるための単の意味を持つ「家」
鳥もビーバーも山岳の民も、家には誰もお金を使わない
本当に人間はお金がなければ家を持つことができないのか? 生きていけないのか? 土地は所有する者ではない。 そして、お金がなくても人は生きられる。
なぜ、人間の生活に欠かせないはずの「家」を手に入れることがこんなにも困難なのか
人間が1人住むための土地なんて、そんなに広くなくてもいい。 お金を払えば、どんな広い土地でも手に入れられて、どんなに高層のビルも建てていいというルール。
僕たちは借り暮らしをしているにすぎない
土地というのは、誰がつくったものでもない。 人間が生まれる前からそこにあったものである。 だからこそ、人間も動物も植物も同じように上手に共有するべきだ。 所有するなんて全くの妄想である。
何がどれだけ必要なのかを知ろうとする行為
今の住宅システムでは、「どの部材がいくらだから、トータルいくらになる」なんて発想が全くない。 何がどれだけ必要なのかを知ろうとする行為こそが、既存の社会を変えることなく新しい現実を獲得する近道である。
人間を主体とした流通
お金を主体とした流通ではなく、人間を主体とした流通。 流通にとって、一番重要なのが人間関係。 これはとても原始的な方法論にも見えるのだが、未来の風景のようにも見える。