先日読み終えた、死ぬほど面白かった小説「ワイルド・ソウル」を書いた垣根涼介の本。
日本ヒューマンリアクトという首切り専門会社に務める男を中心に話が展開される。
小説を読むと改めて認識することができるが、
その人には、その人なりの価値観があり、物語がある。
この女は、およそ達観ということを知らない。しかしそこがいい。
感情に波打つ闊達な精神。
たぶん、この世の中の人間の大多数が大人になるにつれ、どこかで割り切り、置き忘れてしまうものだ。
だが、彼女の目に映るこの世の中はモノトーンの世界などではない。怒りにしろ、悲しさにしろ、楽しさにしろ、常にその時々の心の 彩 を反映している。未熟、という意味ではない。心の若さだ。
「……誤解されると困るんだけど、わたし、自分が本当に好きな仕事に就いている人じゃないと、ずっと一緒にはやっていけないと思う」
意味が良く分からなかった。
そんな昌男の表情を読み取ったのか、さらにもどかしそうに彼女は言葉をつづけた。「自営業でもそうだと思うけど、サラリーマンの人生でも、いいときもあれば悪いときもあるでしょ。営業成績でも、あるときは同僚に抜かれたり、抜き返したり。出世でもそう。ある時期には同期より早く出世しても、十年後にはその同期が自分の上にいっていたり……言い方は悪いかもしれないけど、その結果だけ見れば、やっぱり一種のシーソーゲームだと思うの」
「――うん」
「最後にはシーソーの片方で下がったまま、一生浮かび上がれないこともある。たぶんその人のせいだけじゃないとは思うのよ。上司とそりが合わなかったり、たまたま部門が斜陽になったり、そんないろんな要素もあると思うの」
「うん」
「でもね、今の会社でも見かけるけど、そういう人たちって、どこか投げやりになっているところがある。自分のことを妙に 儚んだりしている。わたし、そんな生き方ってやっぱりどうかなって思うの。自分を大事に思えない人が、自分の目に見えている周囲の世界を大切にするとは思えないしね」
なんとなく、その言わんとすることが分かってきた。
「でもね、やりたい仕事をやっているのなら、ある程度は我慢できると思うのよ。たとえ出世できなくても、きつい労働条件に置かれても、自分自身で納得できる部分はある。自分のやっていることに誇りみたいなものを持つことは出来るんじゃないかな」
「失礼ですが、だれも一般論など聞いてはいませんよ」
そう、さらりと返してきた。「口幅ったいようですが、そんな考えは個人として大事な判断をする局面では、何の役にも立たないでしょう。私が聞いているのは、世間がどうかではなく、池田さん、あなた自身が自分の現状についてどう思われているか、ということです。問題をすり替えるのは、やめにしませんか」
確かにそうだ。
今度こそ恥ずかしさに顔から火が出そうになった。
廊下を歩きながらも真介は思う。
親切、とか、優しい、ということではない。おそらく。
つまるところ、イメージングなのだ。
相手の立場になって付き合えるかどうか。そうすれば自然と涙は出る。飯だって奢る。その共感性の高さがつながりを密にする。相手を、信用させる。
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