「悩む」と「考える」の違いを意識することは、知的生産に関わる人にとってはとても重要だ。
ビジネス・研究ですべきは「考える」ことであり、あくまで「答えが出る」という前提に立っていなければならない。
「悩まない」というのは、僕が仕事上でもっとも大事にしている信念だ。
絶対にやってはならないのはが「一心不乱に大量の仕事をして右上に行こうとする」ことだ。
「労働量によって上にいき、左回りで右上に到達しよう」というこのアプローチを僕は「犬の道」と読んでいる。
ここでは横軸がイシュー度、縦軸が解の質。
「限界まで働く」「労働時間で勝負する」というのは、ここでいうレイバラーの思想であり、この考えでいる限り、「圧倒的に生産性が高い人」にはなれない。
冒頭で書いた通り、「同じ労力、時間でどれだけ多くのアウトプットを出せるか」というのが生産性の定義なのだ。
イシューが見え、それに対する仮説を立てたら、次にそれを言葉に落とす。
「これがイシューかな?」「ここが見極めどころかな?」と思ったら、すぐにそれを言葉にして表現することが大切だ。
イシューを言葉にすることではじめて、「自分がそのイシューをどのように捉えているのか」「何と何についての分岐点をはっきりさせようとしているのか」ということが明確になるからだ。
イシューを言語化するときの3つのポイント
「主語」と「動詞」を入れる
「Where」どのような領域を狙うべきか
「What」具体的にどのような勝ちパターンを築くべきか
「How」具体的な取り組みをどのように実現していくべきか比較表現を入れる
よいイシューの3条件
本質的な選択肢である。
深い仮説がある
答えを出せる
イシューを明確化し、肝となる検証をスピーディに進め、仮説を刷新してこそ、真に生産性の高い毎日が実現する。
また、これはビジネスの世界においてコンサルティング会社が存在している理由のひとつでもある。
業界に精通した専門家をたくさん抱えているはずの一流の会社が高いフィーを払ってコンサルタントを雇うのは、自分たちは知りすぎているが故に、その世界のタブーや「べき論」に束縛されてしまい、新しい知恵が出にくくなっていることが大きな理由のひとつだ。
優秀であればあるほど、このような「知りすぎ」の状態に到達しやすく、そこに到達すればするほど知識の呪縛から逃れられなくなる。
イシューが見え、それを検証するためのストーリーラインもできれば、次は分析イメージ(ここのグラフや図表のイメージ)をデザインしていく。
ここでも「分析結果が出ないと考えようがない」とは言わない。
基本はいつでも、「最終的に伝えるべきメッセージ(=イシューの仮説が証明されたもの)」を考えたとき、自分ならどういう分析結果があれば納得するか、そして相手を納得させられるかを考えることだ。
そこから想定されるものをストーリーッラインに沿って前倒しでつくる。
絵コンテづくりで大切な心構えは、「大胆に思い切って描く」ということだ。
「どんなデータが取れそうか」ではなく、「どんな分析結果がほしいのか」を起点に分析イメージをつくる。
「分析とは何か?」
僕の答えは「分析とは比較、すなわち比べること」というものだ。
分析と言われるものに共通するのは、フェアに対象どうしを比べ、その違いを見ることだ。
定量分析の3つの型
比較
構成
変化
僕たちがやっているのは「限られた時間で、いかに本当に価値のあるアウトプットを効率的に生み出すか」というゲームだ。
どれだけ価値のあるイシュー度の高い活動に絞り込み、そのアウトプットの質をどこまで高めることができるか、それを競うゲームだ。
回転数とスピードを意識する
すべての仕事は結果がすべてであり、この結果があるレベルの価値に到達しないと、その仕事はいかなる価値ももたず、多くの場合マイナスになる。
「コンプリートワーク」をするためには命を削るような思いをするだろうが、命を削ることそれ自体には何の意味もない。
その酷薄なまでの真実が、僕らを時間から解放し、本当の意味で自由にしてくれる。
「人から褒められること」ではなく、「生み出した価値」そのものが自分を支え、励ましてくれる。
生み出したものの結果によって確かに変化が起き、喜んでくれる人がいることがいちばんの報酬になる。