ぼったくりなんてない。価値は自分が決める。

エチオピアでぼったくられた!!

自分は気をつけているので滅多に「ぼったくられる」ことはない。
が、エチオピアをバス移動した際「ぼったくられた」のである。
トヨタのハイエースに23人詰め込まれてのバス移動だったのだが、後日他の旅人のブログを見ていると、自分は「通常払う額」のなんと3倍のお金を払っていた。

その事実を知るなり、
「くっそ!!!3倍も払ってしもた!!!あの野郎ども許せん!!!!」
と憤慨していたのだが、ふと気付いた。

自分が納得して払った価格なら、別にいいんじゃね?」と。

ぼったくりなんてない

社会は等価交換で成り立っている。

バスの例だと、
運転手の「ある場所からある場所まで運ぶというサービス」
自分の「お金」
をそれぞれ交換したのだ。

自分は、提示された金額がその移動距離に見合っていると感じたからその金額を記された紙幣を運転手に渡した。

それでいいんじゃないか。と思う。

そもそもお金ってなんやねん!

ここからは見たり聞いたりしたことまとめ。

お金が人を人にした

お金が誕生するまでの間、人類は食べるためだけに生きてきた。
毎日毎日、自らの手で食糧を確保することのみに時間を費やしていた。

やがて、物々交換を行うようになる。
しかし、物々交換では両者が欲しがるタイミングでしか交換ができない。

そこで、お金という概念が生まれた。
お金を共通の価値の尺度とし、物々交換の媒体としてお金(昔は貝など)を用いるようになった。お金は食べ物とは違い蓄えることができる。

そうして、物々交換からお金と物を交換するシステムに代わり、食糧が欲しいときに手に入るようになった。
そして、食べること以外のことを考える余裕が生まれた。

そう、人間はお金によって考える時間を獲得した。
生き物の中で人だけが持つ高度な能力はお金によってもたらされた。 

お金が人を人にしたのである。

お金がコミュニケーションをもたらした。

お金は知らない者同士、言葉が通じない物同士を結びつけられる唯一の道具。

お金が存在する以前は、知らない者はすべて不信の対象だった。 
相手が物を持っていても無事に交渉が成立するまでは疑いと不安がつきまとった。 

しかしお金の出現によってその疑いは払拭された。 
見ず知らずの人間でも、会ったその場で信用し合える状況をつくった。 
お金で人は人を信じるようになり、お金を持ち寄ることで人は信頼し合えるようになった。

そしてその信用が人々に劇的な変化をもたらす。 
人と接することに安心感が生まれ、人と人が会う機会が増える。 
そして会話が活発になる。すると新しい言葉が急激に増加する。人と話すことが楽しくなる。
そうして人々はコミュニケーションをとって暮らすようになった。 
人と人が出会い、信じ合い、認め合い、愛し合い、つながり合って豊かな社会へと発展させていった。

つまりお金とは、心と心を結ぶコミュニケーションのことなのである。

社会は価値交換で成り立っている 

「相手の持っているものの中で自分が欲しいもの」と「自分が持っているものの中で相手が欲しがるもの」とを、お互いが丁度いいと思う量で交換している。

世の中を見渡してみると、なるほど確かに全ては交換で成り立っている。
その中でも交換が活発なのが、「紙幣」や「硬貨」。

友達がやってたけど、「紙幣」や「硬貨」以外の「価値」をお互いに提供しあう体験が面白そう。

1円硬貨をつくるのに、2円かかる

実際の価値よりも小さな価値が1円硬貨には与えられている。
実際の物質的な価値よりも社会的な価値の方が重視されているのである。

このことから、価値は社会的なものであることが分かる。

ちなみに一万円札は22円、千円札は15円、それぞれつくるのにかかるらしい。

価値は人と人の間でしか生まれない

うむ。確かに。価値は関係の中でしか生まれない。

【雑学】地球上に存在する金の埋蔵量は50mプール1杯分(50m×25m×2m=2500㎥)。