【vol.061】ある朝目を覚ますと虫になっていた男の話

ある朝、グレーゴル・ザムザがなにか気がかりな夢から目をさますと、自分が寝床の中で一匹の巨大な虫に変っているのを発見した。

冒頭からぶっ飛んでいる。「起きたら虫になってた」って。

あまりにも有名なカフカの「変身」。
海外文学の名作と称される作品である。

Wikipediaによると、あらすじは以下のとおり

布地の販売員をしている青年グレーゴル・ザムザは、ある朝自室のベッドで目覚めると、自分が巨大な毒虫になってしまっていることに気が付く。

突然のことに戸惑いながらも、彼はもう少し眠ってみようと試みるが、しかし体を眠るためのちょうどよい姿勢にすることができない。
仰向けの姿勢のまま、グレーゴルは今の仕事に対する様々な不満に思いを募らせる。

出張旅行ばかりで気苦労が多く、顧客も年中変るからまともな人付き合いもできない。
朝早いのも不満の種であり、「この早起きという奴は人間を薄馬鹿にしてしまう。人間はたっぷり眠らなければ成らない」と、ザムザは思う。
しかし両親には商売の失敗によって多額の借金があり、それを返すまでは辞めるわけにはいかないのだった。 そうしてふと時計を見ると、出張旅行のための出発時間をとっくに過ぎている。
心配する家族からドア越しに声がかけられる中、何とか体を動かして寝台から這い出ようとし、そうこうするうちにグレーゴルの様子を見に店の支配人がやってくる。
怠慢を非難する支配人に対して、グレーゴルは部屋の中から弁解するが、どうやらこちらの言葉がまったく通じないらしい。
グレーゴルは部屋のドアまで這いずり、苦労して鍵を開けて家族たちの前に姿を現すと、彼らはたちまちパニックに陥る。

母親は床の上にへたり込み、父は泣き出し、支配人は声を立てて逃げ出す。
支配人に追いすがろうとするグレーゴルだったが、しかしステッキを持った父によって傷つけられ、自室に追い立てられてしまう。

上の日以来、グレーゴルは自分の部屋に閉じこもってひっそりと生活することになった。
彼の世話をするのは妹のグレーテで、彼女はグレーゴルの姿を嫌悪しつつ食べ物を差し入れ、また部屋の掃除をした。
グレーゴルの食べ物に対する嗜好はまったく変わってしまっており、いまでは新鮮な食べ物を口にする気にはなれず、腐りかけた野菜やチーズに食欲が湧くのだった。
グレーゴルは日中は窓から外を眺めて過ごし、眠る時には寝椅子の下に体を入り込ませ、また妹が入ってくるときにも気を使ってそこに身を隠した。

ドア越しに聞こえてきた会話によると、一家にはわずかながらも倹約による貯えがあり、唯一の働き手を失った今でも1、2年は生活していくことができるようだった。

そのうちグレーゴルは部屋の壁や天井を這い回る習慣を身に付け、これに気が付いたグレーテは、這い回るのに邪魔になる家具類を彼の部屋からどけてやろうと考える。
グレーテは母親と協力して家具類を運び出しはじめ、グレーゴルも当初は気を使って身を潜めているが、しかし彼女たちの会話を聞いてふと、自分が人間だった頃の痕跡を取り除いてしまってもよいものかという思いを抱く。

グレーゴルが自分の意思を伝えようと、壁際にかかっていた雑誌の切り抜きにへばりつくと、その姿を見た母親は気を失ってしまう。
ちょうどその頃、新しく勤めに就いていた父親が帰宅する。
事態を悪く見た彼はグレーゴルにリンゴを投げつけ、それによって彼は深い傷を負い、満足に動けなくなってしまう。

父親の投げたリンゴはグレーゴルの背にめり込んだままとなり、彼はその傷に1ヶ月もの間苦しめられた。
その間に一家は切り詰めた生活をし、母も妹も勤め口を見つけて働いていた。

妹はもうグレーゴルの世話を熱心にしなくなっていた。
女中にも暇が出され、代わりに年老いた大女が手伝いに雇われた。
彼女は偶然目にしたグレーゴルをまったく怖がらず、しばしば彼をからかいに来た。

また家の一部屋が3人の紳士に貸し出され、このためグレーゴルの部屋は邪魔な家具を置いておく物置と化してしまっていた。

ある日、居間にいた紳士の一人がグレーテが弾くヴァイオリンの音を聞きつけ、気まぐれからこちらに来て演奏するように言う。
グレーテは言われたとおりに紳士の前で演奏を始めるが、紳士たちはすぐに興冷めしタバコをふかしはじめる。

一方グレーゴルは彼女の演奏に感動し、自室から這い出てきてしまう。
グレーゴルの姿に気づいた父親は慌てて紳士たちを彼らの部屋に戻らせようとするが、この無礼に紳士たちは怒り、即刻この家を引き払い、またこれまでの下宿代も払わないと宣言する。失望する家族たちの中で、グレーテはもうグレーゴルを見捨てるべきだと言い出し、父もそれに同意する。

やせ衰えたグレーゴルは家族の姿を目にしながら部屋に戻り、家族への愛情を思い返しながらそのまま息絶える。
翌日、グレーゴルは手伝い女によってすっかり片付けられる。

休養の必要を感じた家族はめいめいの勤め口に欠勤届を出し、3人そろって散策に出る。
話をしてみると、どうやら互いの仕事はなかなか恵まれていて、将来の希望も持てるらしい。
それに娘のグレーテは長い間の苦労にも関わらず、いつの間にか美しく成長していた。
両親は、そろそろ娘の婿を探してやらなければと考える。

主人公が虫に変身し、そのまま話が続いてゆく。とんでもない話である。
冒頭から衝撃的すぎて、その勢いですぐに読み終えてしまった。

確かに話は面白い。だがなぜこの作品が名作とされるのか。その所以は自分には分からない。
そこでYahoo知恵袋の回答を引用すると

『変身』は矛盾した要素を内包しているのが特徴です。

リアルであると同時に全くありえない話であり、ギャグ小説で笑える内容なのに救いようのないほど酷くブラックでもあり、単なる馬鹿話と読むことも出来れば現代社会を風刺した深刻な話とも取れる。

虫に同情することもできれば、あんな害虫は死んで当然と読むことも出来ます(あの虫は結局、何一ついいことをするわけでもなければ家族に感謝するわけでもなく、ただ虫として虫生活をエンジョイし、家族に迷惑をかけた末にリンゴを投げつけられてくたばったわけですから、自業自得とも言える)。

これだけ相反する要素を平気で並列させてしまう作品はそうはありません。

また、こうしてひとつの作品を多様な視点から読めるという仕組みそのものが、このありえない馬鹿話にリアリティを与えている要因ともなっています。
現実というのは、どの立場からそれを見るかによって印象が全く変わりますよね。
『変身』を読んで抱く感想は、そのまま、その読者が所属する世界や立場、そして視野の範囲を現しているとも言えるわけです。

なるほど。納得。

カフカの「変身」読んだことがない人は是非読んでみては。

“今なら新潮文庫の100冊”コーナーが設置されているはずなので、その100冊の中から見つけることもできるでしょう。

2016年24冊目