【リトアニア】十字架の丘を訪ねて

リトアニア

<国名>リトアニア共和國
<首都>ビリニュス(人口54万人) 街自体が世界遺産に登録されている
<公用語>リトアニア語
<宗教>ローマカトリック
16世紀頃までは多神教信仰が主だった。元々は多神教の国。農業を生業としていたため、自然を崇拝していた。輪廻転生を信仰しており、生け贄の歴史も存在した。インドヨーロッパ語族にルーツを持つ。
<面積>65300㎢
<人口>300万人
<GDP>480億ドル
<通貨>ユーロ(20015年1月にユーロ導入)
<政治体制>共和政
<リトアニアからの日本訪問者数>年間1,906人(2013年)
<日本からのリトアニア訪問者数>年間10,079人(2013年)
<在留邦人数>77人(2014年6月現在)
<在日リトアニア人数258人>(2014年6月末現在)
<一人あたりGDP>14,014ドル
<失業率>13.4%
<主要産業>石油精製業、食品加工業、木材加工・家具製造業、物流・倉庫業、販売小売業
<輸出> 約245.4億ユーロ
       石油製品、電気機器・機械類、車輌類、化学製品
       ロシア、ラトビア、エストニア、ドイツ
<輸入> 約262.1億ユーロ
       原油・天然ガス、車輌類、電気機器・機械類、化学製品
       ロシア、ドイツ、ポーランド、ラトビア

寒すぎたこの旅初の野宿

PM23:50、ラトビアのバスターミナルからリトアニアへと向かう。
AM2:00リトアニアのシャウレイという街のバスターミナルに到着。
野宿する場所を探して歩き回る。 いいかんじの芝生があったから寝る。
も、朝方、クッッッッソ寒くて起きる。ガチ寒い。頭いたい。身体を温めるため、寝袋にくるまったまま腹筋、スクワット。
ダラダラ流れる鼻水をすすりながら飲む味噌汁。くそうまい。写真撮るの忘れた。

十字架の丘を訪ねる

なぜこの街、シャウレイに来たのか。それは、「十字架の丘」と呼ばれる遺産を訪ねるため。

他国に何度も侵略されてきた歴史を持つリトアニア。 この十字架の丘には、平和を願い、戦争の死者に祈りを捧げるための十字架が5万本以上も存在する。

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迫力、重み。

リトアニアの次はポーランドへ。 それにしても日本人に会わない。

地球の歩き方を読んでないからかもしれない。 韓国人にはよく会うんやけど。

<リトアニアめも>
リトアニアに対するロシア化は厳しく、リトアニアの大半はロシア領となる。
リトアニア語の使用を制限、大学を制限、アルファベットの使用を禁止し、キリル文字の使用の強制。→数万人のリトアニア人がアメリカへと移住する。
様々な国に侵略された歴史。
紀元前1万年に、人が住み始めた。
バルト語を話すヒチビトが紀元前2000年にやってきた。
ものすごく辺境だった。ため、ギリシャやローマの影響をあまり受けなかった。
キリスト教を信仰するドイツ騎士団によりバルト3国を支配されるが、
ユダヤ人の保護
様々な国に囲まれ、さまざまな文化を受け入れていた。
リトアニアとポーランドと結託してドイツ騎士団に対抗するために1387年にキリスト教に改宗。
1905年 ロシア革命がバルト地域に影響を与えるにつれ、リトアニア人による政治活動が活発になる。リトアニア語の公用語化が認められる。
第一次世界大戦時、ドイツ軍に3年間に渡り支配される。
20万人のユダヤ人がリトアニアに住んでいたが、ナチスドイツにより大虐殺が行われる。